2-5 身分廃止という維新の「偉業」

 明治維新論が多様化している。それ自体、明治国家の天皇親政の呪縛が解けてきたことを意味するのだろう。勤王運動の成就といった、単純な「子供だまし」を脱却するのは大変望ましい。しかし、邪馬台国から1700年以上の長きにわたって、社会の基本に据えられた「身分制」を一掃した快挙、という評価は変える必要はないだろう。

 現在、身分のない世界は「当たり前」すぎて、改めて言うほどのことではない。しかし、江戸時代は士農工商といった大括りの行動規制だけではなく、より細かな「家格」により、結婚、職業選択はもちろん日常行動まで束縛された。福沢諭吉は、好きなことができなかった父の無念を思い、「門閥制度は親の仇」と恨みを込めて書きとめた。この解放がその後、どれほど日本人のエネルギーを引き出したことだろう。

 実際の動きは、明治2年6月に公家を華族と名称を変え、12月には武士に関し「中下大夫以下の称廃されすべて士族及び卒と称し」云々という太政官布告が出された(明治5年には卒族の名称が廃止され士族に一本化された)。明治3年には平民の苗字が許された。明治4年になると「穢多・非人の称廃され候、身分職業とも平民同様たるべき事」が布告され、華族・士族の職業選択の自由も許された。

 通婚の自由がなければ、身分からの解放は絵に描いた餅である。「華族より平民に至る迄互いに婚姻差し許さる条、双方願に及ばず、その時々の戸長へ届け出るべき事」(太政官布告第457号、明治4年8月23日)。

 こうした解放が明治4年まで遅れた点を批判する声もある。しかし、欧米視察へ多くの要人がでかけた岩倉使節団の出発が明治4年11月であり、その前に実現された身分制廃止は、維新の「原点」だった。明治3年の下級官僚・杉亨二氏の建白が先行したが、政府は多忙な中、その反応は速かった。

 しかし、身分制撤廃という大改革構想が、維新への運動の過程でどう育っていったかは、実は分からない。そもそも幕府・朝廷の廃絶についても大久保・木戸・岩倉たちは合意していたはずだが、手紙には書かれていない。大事なことは文字にしなかったのだろうか。彼らの間では共通認識で改めて書くほどのことではなかったのだろうか。倒幕への政治過程は志士の手紙などで分かるが、最も重要な思想の変化については、史料で追いかけられない。彼らは実際に会って、どんなホンネの話をしていたのだろう。

 あるいは、身分の融解、すなわち平等化という現実が先行し、世襲制・身分制・家格制はかろうじて名目的に維持されていたのか。天保(1830年~44年)ころになると、各藩は財政建て直し、武力の近代化などへ藩政改革に手をつけ始める。抜櫂人事など一部伝統との決別も行われた。武士身分をカネで買うことも始まる。一部の藩については、武士への身分移行のための献金相場すら明らかになっている。

 幕末の政争の修羅場を戦い抜いた徳川慶喜が明治44年に述懐している。「要するに、朝幕ともに有力者は下にありて上になければ、その下にある有力者の説によりて、百事公論に決せば可ならん」(「昔夢会筆記 第14」)である。決定者を「上」ではなく「下」に移したほうがいいという事態がきていた。身分制に則って物を決める時代が去っているのを、徳川慶喜は嫌というほど感じていたのである。

 手紙などに書き残していないのは、仮にそれを文字にして「上」に見られるのを避けるという面もあったのだろう。もし「上」が見たら「裏切り者」と激怒する。運動そのものにマイナスに働く。雄藩連合を目指した島津久光、松平春嶽などは、身分制を残したかったのだろう。新政府の中心に座った、元下級武士たちとは根本的に立場を異にしていた。実は、戊辰戦争勃発の直前には、徳川家を中心とした雄藩連合が権力を掌握する寸前までいった。雄藩連合政権ができたら、身分制廃止はもっと遅れた可能性があった。

 それにしても、維新はフランス革命の人権宣言とは言わないまでも、五箇条の誓文だけでなく「人権宣言」のようなものを伴うものであってほしかった。もちろん王政復古というアナクロを演出した以上、それは「ないものねだり」なのだが。

 武家の主従制時代は、命令するのは主人だけである。いかに下層の武士でも、主人以外の武家に命令される云われはない。何か頼みごとをする際には、主人を通して頼む以外にない。これが原則である。しかし、幕府(将軍)が廃絶されれば、当然その家臣の大名も廃絶される。支配権を失う。結局、普通の人に戻らざるをえないのだ。

 しかし、将軍がいなくなっても、その家臣である幕府官僚などは業務を続けた。すでに主従制を脱した、業務への忠誠という近代官僚制が始まっていたともいえる。

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