20世紀から始まったことだが、中国がますます大きくなっている。人口ばかりでなく、政治的・経済的プレゼンスの拡大が止まらない。ロシアも強国として復活しつつある。これは日本をめぐる国際環境が大きく変わってきたことを意味する。日本はアメリカ、中国、ロシアという複数の大国に囲まれている。こうした事態は初めてのことではないか。
国際関係といえば、室町時代まで日本は、隣にいる巨大で進んだ中国との関係を考えれば十分だった。海があるため軍事的脅威は限られ、文化的に依存する分野もあった。中世には、貨幣まで中国から調達した。彼我の国力の差は、当然の前提として認識していたらしい。自主通貨に変えたのは江戸時代からである。寛永通宝を初めて発行したのが1636年(寛永13年)。中国が明から清への過渡期だったことも、一因だったのだろう。
江戸時代は中国と国交がなく、幕末には中国・清朝が疲弊し、代わって西欧が巨大な姿を現した。画期はペリー来航(1853年)。昭和の戦争中を例外として、西欧は常に到達する目標だった。政治、経済システムとも西欧の中から自分に合うものを選択して取り入れた。科学、芸術など文化も同様である。安全保障でも明治以来、西欧とはケンカをしない途を選んできた(間欠泉のように、自己を主張する声も吹き上がったが)。第二次大戦のあとは、シンプルにアメリカとの協調が最優先されてきた。
こうした歴史からして、複眼で国際関係をコントロールする冷徹さを身に付ける訓練をする機会が乏しかった。ヨーロッパ各国は、互いに敵になり、味方になり、それでいて共存を続けてきた。ちょうど都市住人の隣付き合いのように、決定的対決を避ける知恵を持っている。こうした技術を日本は育んでこなかったような気がする。戦後70年たっても日韓関係に北風が吹いて。こうしたことは、西欧には起きていない。いまさら歴史認識が問題になるようでは、強国との複雑な国際関係を泳いで行かれるのだろうか。
ちょうど1939年に、「欧州情勢は複雑怪奇」という有名な一言を残して総辞職した平沼内閣のようなことが起こるかもしれない。当時より今後のほうが、重層的に変化する三国間の外交に囲まれて、難しい判断を迫られるはずである。
明治以来、世論は国際関係に関しては、単純に黒白の断定をしがちである。日清戦争のときが典型である。政争で政府の存続さえ危なかったのに、戦争になった途端、政争は雲散霧消した。世論は対清強硬論の一色になった。西欧との協調の一方がアジア蔑視だった。あの緩やかに時が流れるようでいて、革新に際しては徹底にやる中国をバカにするなど考えられないのだが。貴族制度を廃して能力主義に転換したのは1000年以上も前だ。中国に限らない。どの国も存続してきた知恵があるのだ。そこを忘れて、自分を基準に上か下かと相手を値踏みしてかかり、近視眼で損得を計算する。軽く見た相手には時に共存しがたいと判断する。こうして間違いを招きよせた過去を、再び繰り返す可能性がないとは言えない。そうした紛争が避けられない場合でも、少なくとも、実際行動は決定的な対立を避けるように、ブレーキをかける冷静さを保持したい。
これは道徳的なきれいごとではない。計算高いと怒られるだろうが、共存できないような対立を引き起こすのは、結局は損なのである。江戸時代初期には秀吉の朝鮮「征伐」の跡をうけ、幕府は朝鮮通信使に対して実に丁重に対応した。近くは戦後世代が中国、韓国に「後ろめたさ」を感じざるをえなかった。次の世代が「引け目」を感じないですむようにするのが、現役世代の責任でもある。