日本史の概説書などで近代の戦争部分を読むと、多くは日清・日露戦争から始まり、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争と進み、太平洋戦争で終わる。
しかし、近代日本の戦争の原点は下関戦争(四国連合艦隊下関砲撃事件)ではないか。長州藩が攘夷実行として1863(文久3)年に瀬戸内海のアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した。その報復として、1864(元治1)年にイギリスを加えた四カ国が砲撃により長州藩を打ち破った戦争である。(前年の1863年に薩摩・イギリス間で戦争をしたが、これは生麦事件の報復で薩摩藩が戦争を目的にしたわけではない)下関戦争のあと、長州藩は幕府の「長州征伐」の矢面に立ち、藩内は大揺れになった。長州藩からは、後の明治政府の幹部を輩出するが、彼らが攘夷の挫折を忘れたわけではあるまい。
明治国家は攘夷実行のために成立したとも言える。武士は、攘夷ではなく「事なかれ」に流れると見えた江戸幕府を見限ったのである。ただ、攘夷を思っても、彼我の軍事力からして、実力行使は不可能なことは分かっていた。そこで「開国和親」に豹変した。
幕末には安全保障をおびやかす最大の国はロシアと思われていた。明治になってからも同様である。ロシアが朝鮮半島に不凍港を確保し、艦隊が停泊するような事態を防ぐ。そこで朝鮮半島を自由にしたい。それはもちろん侵略行為で許されることではないが、日清・日露戦争は、「主観」的には防衛策の一環だった。
だが、大国ロシアに勝ったことで、日本は変わった。日露戦争が終わり、ポーツマス条約が結ばれて以降、日本は満州の門戸開放に反する動きを始める。1908(明治41)年には。朝河貫一が「日本の禍機」で、満州独占の野望を秘めたような行動を、はっきりと諌めている。筋の通った、背筋が伸びた堂々たる論である。その中で将来のアメリカとの衝突を心配している。ついで韓国併合が1910(明治43)年に行われた。
その後、日本の戦争の質は変わる。第一次世界大戦が起きると、ドイツが持っている山東半島、太平洋の島々の権益を狙い、連合国側に参加した。さらにアジアでヨーロッパ勢が「留守」になった隙をついて、中国に21カ条要求を承認させた。時を同じくしてロシア帝国が崩壊した。ソ連の成立と混乱。ロシアは恐れる対象ではなくなった。
日本の行動は「自衛」の範囲から大きく踏み出した。武力が乏しいため、おとなしくしてきたが、実力がついてきた以上、もう遠慮をする必要はなくなった。そこで野心が膨らんでいく。その背景にあったのは、江戸時代以来の尊皇攘夷思想だったのではないか。父祖の夢の実現である。見当外れかもしれないが、そうとでも考えないと、昭和の太平洋戦争へ進む、非合理な行進の意図が分からない。単なる誇大妄想ではあるまい。アジアに西欧の植民地があふれた現実を眺め、日本も開国、西欧流制度を「砲艦外交で押し付けられた」という被害者意識、土俗的な反発が底流にあったのではないか。
同時に、軍隊が組織的存続のため、成果を国民に示し続けたかった、という内部事情も、推進力になった。インテリの大正デモクラシーは、庶民の反西欧意識に対して無力だった。昭和の恐慌、凶作に対処できない政党はついに、国民をつかみきれなかった。
明治の「反西欧、神がかり」面が、「市民社会」面を圧倒してしまい、無謀な戦争への道を進んで行ったのである。もう少し明治の発射角度が市民社会寄りだったなら、異なったコースをたどったのだろうが。
満州、中国への深入り、仏印への展開などは、一種の熱病にかかっていたとしか思えない。その結果がアメリカへの開戦である。真珠湾攻撃には、国民は熱狂ではなく、「もやもやした重苦しさが消え、空が晴れた」と感じたらしい。普通の人々の、そのような回想をいくつか聞いた。「ひどいことになった」と感じた人も中にはいたのだろうが。当時20歳のある若者は、親鸞の「歎異抄」を読み返したという。人それぞれである。
「真珠湾の日」という高村光太郎の詩がある。「天皇あやふし。」「子供の時のおぢいさんが、/父が母がそこに居た。」一時代の総決算という感覚があったのではないか。
ところが、明るさは続かなかった。もう太平洋戦史は山ほど出版されている。読んでみると、ずいぶん杜撰な戦争計画だった。精緻な計画を作ればいいというのではないが、そもそも開戦の大義、普遍的目的がよく分からない。アジアの解放を掲げながら、中国と全面戦争をしているという矛盾を内包しているため、援軍が現れなくて当然だった。リアリスト、悪く言えばマキャベリストだった昔の武士なら、もっと早くやめていただろう。
大岡昇平「野火」という小説ではフィリピンに置き去りにされた兵が、飢えて人を食べる兵に山の中で殺されかける。何も書き残すことができずに死んだ人々は数知れず。日本が経験した最大の悲劇になってしまった。民間人を含めトータルの死者は310万人。アジアに対しては加害者だったため、その恨みを買った。何ひとついいことはなかった。