いま起きていることで歴史から参考になる前例を得られないこともある。
例えば、これから必ず起こる急速な人口減、日本史の中に出てこない事象だ。人口減の過程で何が起きるか。なぜ起きたのか。いつになったら転換するのか。わからないことばかりだ。そもそも人口が減って何が悪いのかと問われれば、明確には答えられない。ただ生存を脅かす環境の故ではない個体減少。動物学から見ても、一種の病理現象ではないか。
少子化担当相という閣僚が初めてできたのは2007年のことである。それ以来、打ち出された政策は、「産みやすい、育てやすい環境」作りが中心だった。産休の奨励など様々な対策が打たれているが、効果は上がったか。もちろん対策を実施しなければ、もっと人口が減ったといった議論もありうるし、対策無用論は間違いだろう。
ただ、いま起きていることは、小手先の「対策」で済むような、生易しい事態ではないようである。根本的に原因は「楽しい社会」ではないことだと思う。以前、村上龍氏が、「日本には何でもあるが希望だけがない」と喝破したが、その状況が一層悪化している。若者には、上から枠が設定され、見張られている、減点主義の「窮屈」な社会なのである。
窮屈さという点なら、前例がないではない。江戸時代、江戸に住む人間には五人組という形の「相互監視」を義務付けられた。五人組は秀吉から始まり、三代将軍徳川家光治下の1630年代には枠組みとしては完成したと言われる。江戸幕府は当初は「庄屋仕立て」と呼ばれる簡素な組織から出発したが、戦がなくなった元和(1615~24年)以降、組織が精緻化していく。五人組は治安維持、租税、キリシタン禁制、牢人改めなどを連帯責任で実施する。五人組帳にはチェックポイントが定められた、五人組は貸借など相互扶助の役割もしていた。ただ、監視が全体を覆っていては、「楽しい」はずがない。
しかし、江戸時代は天候により飢饉が起きる社会だったが、享保以降も人口はほぼ横ばいだった。とすると、江戸時代の人間以上に、現代は子供を育てたくない人の比率が増えている。享保の世界は人口が日本列島に分散していた。そして現代は一極集中。この違いが人口動向に関係するのか否か、実際さっぱり分からない。もともと出生数は1973年以降、トレンドとしては下がり続けている。それが政治の問題になったのは平成(1989年から)以降だったと思う。失われた30年である。それから狭い意味の出産・育児の制度の改善を続けてきたのだが、それ自体を見直す時期だろう。
「少子化対策」ではなく、「窮屈な社会をどう直すか」といった、大きな視野から衆知を集めてみる必要があるだろう。その場合、社会制度に精通した官僚、法律家を入れない議論のほうが望ましい。法学部・経済学部出身のエリートは大胆な議論に対して「それは現代社会ではムリ」「経済成長に逆効果」といった発言で、すべてを流し去る可能性がある。逆に、必ず議論に参加してもらいたいのは類人猿を研究している「動物学」、世界の民族を注視している「人類学」といった分野の専門家である。日本以外を専門とする歴史家もメンバーになってもらいたい。現在の日本人口の縮小再生産の循環を断ち切るには、遠回りでも何が起きているのかから、先ずは議論してもらいたい。結論は出なくても、議論がマスコミに載るだけでも、何らかの効果はあるはずだ。