組織原理以外に日本の歴史の社会変化を通史として表す指標はないのか。かつて歴史を動かすのは経済=土台というマルクス主義が主流を占めていた時代があった。歴史が根本的に経済と共に変化したのは確かだが、個々の歴史現象、たとえば室町時代から戦国時代に移行する変化を、経済を中心に説明するのは難しい。その動力は政治と言わざるをえない。ただ、政治のできる範囲は、経済という冷徹な大枠を越えることはできない。
近代以前の経済の中心は何と言っても農業である。コメ生産である(単純化しすぎか)。米生産の効率は、品種改良、肥料・農機具・動物利用などが進んでも、漸進的にしか向上しなかった。中世は扇状地の耕地が中心だったが、次第に河口など広い海岸部の開拓により耕地が増え、生産量も大きく増加した。その恩恵を受け、江戸時代は安定した社会になった。生産力は上がったが、それで政治・社会構造が変わっただろうか。身分制に基づく世襲支配はびくともしなかった。
集落の変化でいえば、古代の散村から中世には集村に変わっていき、その延長線上に室町時代には「惣村」が現れてくる。この農村の自立・自己完結化が最大の変化だろう。農村は外部からの攻撃への対抗上、団結を強め、武装する必要があった。戦国大名が武士を城下町に集める動きを強めると、農村の自己完結化は一段と促進される。この惣村は江戸時代の村請制に発展した。江戸時代後半には非農業への多角化で成長する農家も現れたが、農村の構造を変えるには至らなかった。明治には「土地への緊縛」が解除され、制度的には転機を迎えたが、惣村は生きつづけ、実際の転機は昭和の敗戦だった。それ以降、工業化の波を受けて若者が流出し、農村は大きく変貌していった。
農業を端的に、土地保有史としてみたらどうか。弥生時代には耕地は村落が共同で耕し、古墳時代になると豪族が一定地域で耕地を独占したのだろうか。文字史料で分かるのは、大化の改新後の「公地公民制」からである。それまでは豪族の私有地が分布していたらしい。それを大王家に集中し、口分田を農民に分けたという。その後の土地制度は荘園制だろう。一つの土地に重層的に得分権がついている形である。その後は豊臣秀吉の検地が画期となる。荘園制は一掃され、直接耕作者が収穫を独占し、年貢を直接領主に納める形になった。明治になると、この耕地が私有になり、処分も自由になった。近代所有権への移行であり、それがいまも続いている。
この土地保有史も、何時から荘園制かという、区切りがあるわけではない。徐々に律令の公地公民制が崩れ、院政期に荘園の再編が起きる。次は荘園を各地の守護、戦国大名が蚕食して自分の支配下に置いていった。その仕上げが、太閤検地だろう。漸進的な変化のため、土地所有を時代区分の指標にするのは、実際上、無理である。
社会を一時点で切り取ってみると、経済・政治・社会関係・文化は互に支えあう構造体をなしている。もちろん、互いに対立する面も持っているため、その調整は途切れることなく続いていく。経済は休むことなく動いている。経済合理性があれば、新しい技術も大胆に導入する。だが断絶的な変化ではなく、連続性が強いため、この面から転換期を設定するのは基本的に難しい。いわゆる産業革命も、長期にわたるプロセスだった。
経済より人々の思想のほうが、明確に変化することがある。たとえば仏教である。古代の鎮護国家から始まり、密教、鎌倉仏教と、国主導ではない展開が見られた。戦国期に一向一揆が盛んになって、権力と対立するまでになったが、戦国大名に敗れて以降は、新たな巨大宗派は現れなかった。幕末になって久しぶりに新展開として新宗教が現われてくる。思想的には鎌倉時代が画期、社会運動としては戦国時代が転換点だった。
美術史の教科書を見ると、最初は縄文土器などだが、次いで仏教美術の連続になる。飛鳥・白鳳・天平・貞観など細かく時代区分もされている。ところが、仏教美術は鎌倉時代の運慶・快慶を最後に、存在感を失っていく。江戸時代の円空まで飛んだりする。それ以降は動物・風景・古典など世俗世界を描くようになる。仏像は鎌倉時代が転機である。室町時代以降になると、人間臭が強すぎて宗教性が失われていく(あくまで主観のため、うまく説明ができない)。時代は一向一揆など宗教色が薄いわけではないが、仏像を見る限り、鎌倉時代までと比べて人間が変わってしまったとしか思えない。美術史では次の転機は、西欧に衝撃を受けた明治期だろう。
文学作品では、今でも小野小町の技巧に感心し、「三夕」の情緒が分かる。案外、変わっていない。一方、かつてのいわゆる十九世紀リアリズムのように人間の輪郭がはっきりしていた時代と比べ、現代は人物の存在が不安定で、輪郭がぼやけている。これも主観であり、誰もが納得する客観性があるとは、思えない。ただ、文学も時代変化の指標にするのは無理とは言えると思う。
いろいろ検討した結果、時代区分の判断に適合するのは、史料的に確認できる「組織原理」が最適ではないのか。もっといい指標がありそうな気がするが、いまは思いつかない。組織を中心とすると、大事なことが抜け落ちる、偏りも含まれるだろう。それを警戒しつつ、我々がどこを通ってきたのか、いま何処にいるのかを考えていきたい。