昭和時代、忠臣蔵は一貫して人気があった。NHKの大河ドラマでも3回放映された。最後は1999年。平成に入ってからも、ドラマにする価値があったということだろう。これは主従制の話である。主君の無念を晴らし、武士が死んでいく。「君君たらずとも、臣は臣」という道徳に殉じた物語である。これが明治~昭和の定番ドラマだった。その人気についての分析も山ほど書かれた。
明治維新で変わったことの第一は、主従制が否定されたことだ。制度としては身分、世襲、家格といったパラダイムが一掃された。それによって職業選択、婚姻、言論など自由が大幅に拡大した。社会層としての武士が消滅した。当時の人口が3000万人として、武士は200万人(家族を含む)、武士に仕えている人々(明治時代には士族でなく平民)も多かった。人口の1割弱の失業者を版籍奉還、秩禄処分が生み出した。再就職、農業・商業への転換、士族反乱、外征など苦闘(特に幕臣)を通して、やっと明治社会は安定した。これは教科書なら数行だが、当事者には生死を懸けた選択だった。
当然、主君に仕えることを前提に存在してきた士族はアイデンティティ危機に陥った。それを救ったのが、近代天皇制である。パーソナルな関係ではなく、精神的なものだが、天皇が忠誠の対象になった。天皇は天から「気」という一種のエネルギーを日本にもたらし、日本を神州として成り立たせている、とされた。この主君の転換により、士族はノーブレスオブリージ(高貴なる義務)を伴う公への奉仕者という誇りを維持する途が開けた。
主従制パラダイムは制度として否定されたが、それと社会的に自由・平等が浸透することとはまた別である。明治維新という政治革命(正統性の根拠が変わった)では、変革が社会の深部まで達しなかった。明治維新以降も君への忠誠というエートスが生き残ったため、忠臣蔵という徳川封建制のドラマに、人々は感情移入できた。このエートスは平成まで生き延びていた。
実際、明治維新では、あらゆる分野で権威主義が生き残った。官僚機構だけではなく、民間企業の上下関係、学芸での師弟関係など、上位者が絶対的な拘束力を持った。家長(その妻)も、家の中で圧倒的権力を持っていた。明治の小説では、若者が「家」制度と苦闘するのが定番だった。もっとも、その若者自体が弱いものへは権威を振りかざすのだが。この上位者の拘束力は「業務上の命令」を越えて、人間そのものに及んだ。たとえば、上司の引っ越しを部下が手伝うのは当然といった感覚である。
初期の明治政府は人材不足に苦しみ、幕府を含め各藩の優秀な人々を抜擢した。政府のエリートが家格に拘らず一本釣りで幹部を集めている。西郷隆盛が呼んでくる人たちは実務がだめだったと大隈重信が回想している。より客観的な選抜を求め、明治政府は帝国大学を作った。いわば「科挙」が行われるようになった。中国の宋の時代に追いついた。
集める基準は徹底した能力主義だが、その人たちの運営は、上意下達の権威主義に基づいていた。権威主義とは「真理はすでに開示された、それを体現するエリートに従え」という運営方式である。最終的に正しさを決めるのは、トップに位置する小「天皇」だった。真理が分かっている以上、議論の余地はない。こうした組織は確かに効率がいい。しかし、全能力開花はトップエリートに限られ、組織全体の能力を高める運営とは言い難い。もちろん、内部からのブレーキは働かない。
昭和の戦後は、こうした権威主義が徐々に消え、建前としての平準化が現実化する歴史だった。ちょうど自民党が下野したころ、大企業もバブルの後始末で「のた打ち回る」状況が訪れた。一昔前の堂々として揺るぎない姿が消えた。もはや「真理は開示された」といった気軽なことは言っていられなくなった。経済成長が限界に達し、前例踏襲からの脱却が求められ、いやでも権威主義からの脱却へ走らざるをえなかった。
こうした過程で昭和の「標準的生活」も失われていった。当然かつての武士のエートスは消え去って久しい。「標準的生活」とは、職業などによって一定の「らしさ」があり、それが生活指針とともに安心感を与えていた。政府と個人の間に、一定の仲間集団(学歴、地域、職業などに基づく)が入っている形である。ところがそうした中間団体が消えた、あるいは力が弱くなった。会社、役所への忠誠は低下しており、労働組合は激減してしまった。その結果、極端にいえば政治権力と個人だけが残った。
いわば孤独な個人は、ネットという顔の見えない「仲間」はいるものの、それを除けばさらさらした砂粒化している。企業もカネだけでつながる集団の方向に進んでいる。ネットで何でも手に入るが、仲間がいないという、新たな形の孤独を経験している。
社会は能力主義で効率化は進んだ。経済成長は止まっても、生活水準は維持され、変革意欲も乏しくなった。豊かさが生む思考停止。しかし、大きく見ると井の中の蛙の満足かもしれない。東洋も大きく動いている。今や維新が「西洋の衝撃」への対処だったのと同様、「東洋の衝撃」がくるかもしれない。それを受け止め、耐えるにはどうするか。
日本のナショナルなアイデンティティを真剣に構築するときがきている。かつての「天皇」という支えではない、「何か」が必要なのである。つまり従来型の能力主義だけでは社会は完結しない。日本は能力主義というと、試験、あるいは狭い業務実績により人間の順番をつけたがる。それが一定の組織だけに適応しすぎた「秀才」を生み、それ以外の人々には「減点主義」の窮屈さを生む。これからは一元的な価値基準ではなく、多様な能力を評価する、様々な基準を持った組織が増えていく必要がある。多様な人間が互いに認め合う、本当の能力主義を、失敗しながらでも、会得していく以外にない。そうしたステップを踏んで、新たな日本を作って、行くのだろう。