明治・大正・昭和・平成の四代にわたって人気作家だった夏目漱石。唯一の国民作家と言っていいだろう。もちろん文学の専門論議はできない。歴史の中で、「現役」を続けている理由について、非文学的な感想をまとめてみた。
彼が東大教授から朝日新聞の専属作家になったのは、周知のことである。読売新聞も狙っていたから、それ以前にすでに有名作家だった。新聞社からすれば、それで読者が増えると考えた。その読者とは、勤め人家庭の奥さん達だったろう。朝食を終えて夫が仕事に出掛け、新聞が家に残る。奥さん連は、難しい政治とかを飛ばして、連載小説を読む。一回分の量は知れていて、時間もさほどかからない。その読者へ、漱石は、有り余る教養・語彙を抑えて、易しい言葉で語りかけたのである(美文の「虞美人草」は例外である)。
その奥さん達は、当然(?)男女関係を焦点にしたものが好きだ(家庭破壊は大嫌い)。「坊ちゃん」「猫」「二百十日」などを除き、漱石の小説のメインテーマはそこにある。中には他人の恋人、妻と恋愛関係だったり、夫婦になったりの小説がある。「それから」「門」「こころ」。きわどいテーマである。書きようによっては、際物に堕す。そうなったら奥さん連は猛反発する。それを端正な文体で、市民倫理から外れずに展開した。
「猫」に続く「草枕」では、那美さんという魅力的な女性が現れる。好きな人がいたのに、家の都合で他に嫁ぎ、その家が没落したので実家に戻ってきた。主人公の私は画家で世俗を離れたいと温泉に来る。宿泊する旅館の娘が那美さん。この女性に「私」は興味を引かれる。この設定自体、後に漱石が繰り返し取り上げる女性につながる。この那美さんは村では、変人、狂人と陰口をたたかれる。寺の住職と仏教の話をしたりするためだ。
漱石の女性像の一つの典型は、「恐れない女」である。というか、女の「恐れない」一面を表に出した。これはイプセンの「人形の家」の影響が大きい。「私は人形ではない」と、主婦が家を飛び出す話だ。「恐れない」という言葉は、「彼岸過迄」の中で、主人公が心惹かれる千代子を評して「彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。」という部分がある。煮え切らない主人公に対し、不満な千代子が「あなたは卑怯です」と、問い詰める場面もある。ここなど主婦は快哉を叫んだだろう。
こうした一歩間違うと通俗に流れるものを、健全な世界の中で描き出すから、大人の女が愛読した。その流麗な、リズムを持った文体に乗せて、心に染みていった。ただ、これが明治の女をとらえたのは、その背景があったのだろう。「草枕」の那美さんではないが、親が決めた相手と結婚して、僅かでも「これでよかったのだろうか」という感覚がないわけではない。だからといって家を飛び出すなんて考えたこともない。こうした、普通の奥さん達に、一種の思考実験の場を提供したのだろう。家の束縛に対して、諦めてはいても、納得しているわけでもない。市民社会に脱皮できず、その一方で成金を尊ぶような社会。時代の病が、象徴的に男女関係に現れていると、漱石は考えたのだろう。
実際、他人の妻(お米)と一緒になった、「門」の夫婦は、かつて大胆な選択をしたとは思えない穏やかな人たちであり、淡々とした生活を送っている。お米という「恐れない女」の普通さ。「私と同じことをしている」。これが奥さん連には安心感を与えたのであろう。主婦たちの中には、「私はこうはしない」「私もしてみたい」など考えた人もいたはずだ。
もちろん漱石は、単なる社会批判にとどまってはいない。時代を超えた男女関係に伴うエゴに迫っていくが、当時の人々は時代の中でそれを受け入れた。「こころ」「行人」の告白に見る深い人間分析は、江戸時代人には思いもよらない文章のはずだ。明治という時代の飛躍を表している。この時代を超えた男女関係を描いたところに、漱石が「現役」を維持している理由があるのだろう。
この「恐れない女」(清子)が活動を始めたとき、「明暗」は終わってしまった。漱石の死で未完になったのだが、清子はかつて主人公の津田から離れていった。この過去を含めて清子対津田の対決が、やがて行われるはずだと思うが、あとは各人が想像するしかない。
社会問題を云々しなかったが、男女関係を書くことで、漱石は明治を深い部分から描写した。たとえば「草枕」。筋がないような、「小説ともいえないようなもの」と、当人もいっているが、だとしたら、それには失敗した。突拍子もない連想だが、「草枕」はトーマス・マンの「魔の山」なのだ。「魔の山」では若者がサナトリウムで社会思想の争いを学び、健康を回復して現実に戻っていく。それと同じく、「草枕」では、主人公は世間に疎い、世間離れを求める画家。「非人情」と当人は呼ぶ。その画家が温泉で学ぶ。那美さんの嫁いだ先は、あっけなく没落している。新旧交代の波は止めようがない。最後には日露戦争への出征の場面がある。山深い温泉にも軍国が押し寄せてきた。画家は現実に戻される。まさに明治の歴史の証言である。