4-7 天皇制の条件――過去・現在・未来

日本の歴史において天皇は重要な地位を占めてきた。

まず簡単な年表で歴史を振り返ってみよう。

645年

673年

712年 

乙巳の変(中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺)

天武天皇即位

古事記成立

1221年 承久の乱(後鳥羽上皇が敗北、隠岐へ)

1333年

1336年

後醍醐天皇が建武の親政(鎌倉幕府滅びる)

後醍醐天皇が吉野へ移る(南北朝へ)

1858年 孝明天皇が日米修好通商条約の勅許を拒否
1947年  象徴天皇制

 乙巳の変とその後の施策により、天皇は神話に基づき他の貴族の上に立つ、隔絶的地位を確立した。その地位は約600年間揺るがず、初めての挫折が承久の変だった。次いで朝権の復活をめざした後醍醐天皇も失敗し、その後は武家に押される一方だった。が、下降の約500年を過ぎ、幕末には最高権威として復活した。先のアジア・太平洋戦争で日本は完全に敗北した。都市では人々は空襲の中を逃げ回った。しかし、国内では反乱は起きなかった。制度上、専制君主から象徴天皇に変わったのも、占領国の意向によった。

 南北朝の争乱のときが天皇制の存亡の危機だったという見方もあるが、その生命力は強靭だった。天皇しか担えない役割がその強靭さの源だった。「天皇しか担えない役割」とは何か。日本神話では、天皇は、地上の世界を治めるために高天原から降りてきたニニギノミコト(天照大神の孫)の子孫である。神の意向に基づく統治者だ。この役割は天皇家以外の人間では代われない。この神の子孫は地上の世界を「天上」「未知の外界」とつなぐ回路を持っていると想定された。

 日本では、「我々が目に見ることのできない何かが、この世を動かしている」という発想が、根強い伝統を持っている。愚管抄のいう「冥衆」は、支配者の行為に対し評価を示し、本居宣長になると、人の行動は「皆ことごとく神の御はからい」(玉くしげ)と見る。いずれもこの世の動きに神がからむ。この神との関係は、論理・証拠で明示することはできない。しかし、歴史上、人々は過去の例などから、感覚的に納得して、人知の及ばない世界への通路として天皇という制度を保持してきた。天皇だけが位階制により朝臣を序列付けられ、それにより身分制(世襲制)を支えてきた。

 天皇は、目に見えない「外の世界」とつながりを持っている、「外の世界」とつながる力持っている(のではないか)という神秘的感覚を、日本人が深層心理として持ち続けたからこそ、幕末での「復活」が可能になったとは言えないか。この感覚は、たとえば「パワースポット」に似ている。その場所に行ってみると、中には確かに「異界」とつながっているような感じを受ける場所がある。神社に何となく清浄な感じを受けるような感覚に似ている。

 「世を動かしているのは、目に見えない何か」という感覚は、一定の社会的な条件下で湧き出てくるのではないか。一つは「人知を超えた社会の変化」に見舞われるときだ。中世の公家の日記には「天魔の所為」という言葉が現れる。考えられないほど悪いことが起きた嘆息である。先が見えない乱世、西欧ではキリスト教に改めて回帰するのだろうが、日本には現実を超越した絶対者である、「神」がない。そこで神秘のイメージが伴う天皇という「生身の人間」に、正常な社会の安定性、連続性を表す役割を担ってもらってきた。

 もう一つの条件は、孤立感ではなかろうか。そもそも天皇制の成立が隣の唐という巨人への対抗心に裏付けられていた。同盟していた百済が滅んだのが663年、東アジアで同盟者がいなくなった。幕末には「世を動かす見えない天魔」は、西欧列強だった。それに対抗するため、清、朝鮮との連携を主張する声もあったが、環境的に日本だけでする以外なかった。いま考えれば、「植民地化」への危機意識は過剰だったともいえるが、当時の緊張感は強烈だった。そこで国内が尊王攘夷一色に染まった。天皇を核として結束したのである。歴史的に中国に対する優位性を主張する際、「王朝が変わらない」ことを上げるのが恒例だった。その威力を当時の多くの日本人は信じたのである。

 「天皇はなぜ続いたのか」といった類の本がしばしば出版される。「権力が利用してきたから」という見方があるが、なぜ利用価値があったかも説明する必要があろう。権力闘争での勝者だった武家の時代を生き抜いた生命力はどこから来ていたのか。武家社会はついに普遍的な価値体系を生み出せなかった。武威の統治を補強するため儒教を採用し、神仏も尊重した。しかし、大名がなぜ大名なのか。支配の正統性を問われると、系図を飾って名門に仕立てても、結局は戦国時代に勝ち残ったからという、事実を指摘する以外に答えようがないだろう。武士身分自体も戦闘がなければ、独自の役割を失う。この身分制を支えたのが天皇である。官位を与え、支配の正統性を保証した。

 しかし、神話秩序→主従制→能力主義と組織原理が変化した以上、旧来の天皇の役割は縮小しつつある。貴族制度が残るヨーロッパと異なり、天皇を支えてきた旧公家のネットワークは弱い。存続の基盤は、いまでは「統合の象徴」という役割である。しかも、「見えない何かが世を動かしている」という感覚が消えつつある。開国して百数十年、世界との交流が日常化した。それで分かったのは、世界は「目に見えるもの」が動かしている、過剰に恐れる必要はないということだ。すなわち天皇制に伴う血統の神秘のベールが薄れつつある。この傾向が続き、今後、神話を単なる荒唐無稽な物語と、断定する人が圧倒的多数になったとき、天皇制は歴史的な足場を失うだろう。

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