4-8 明治以来の転機は平成か

 明治維新以来の次の転機はいつか、そこで何が変わったのか。

 すぐに考えつくのは、昭和20(1945)年の敗戦である。これは正確に認識しておかないと、次の時代の方向性を誤る。アメリカに負けたことが、大きく意識され、アジアとの戦争が後景に退いている。たとえば「失敗の本質」という名著がある。これは太平洋戦争(対アメリカ戦)での、作戦の失敗を検証し、原因を探り、教訓を引き出している。日本の状況認識方法、組織運営を考えるうえでの必読書だ。見当外れを承知で、あえて批判すると、アジアで勝てなかった意味についても触れてほしかった。もう一つの「失敗の本質(アジア編)」をアジア近代史専門の若い人たちに書いてもらいたい。

 昭和20年にGHQが占領した。政治構造のリストラを進め、明治以来の「神がかり」部分は全否定された。昭和天皇もわざわざ「人間宣言」した。それで何が起きたか。軍関係、神道関係の人達は大変だったろう。昭和の廃刀令だ。上品な陸軍大佐夫妻が小さな食品店を営んでいたのを覚えている。だが、圧倒的多数の国民には、何も起きなかった。健全な社会のままだった。食べることに追われたのは確かだが、息苦しくはなかった。そういえば近所の老人が早朝、東に向かって柏手を打っていた。神道だった。当時はモノが不足し、隣近所の助け合いが盛んだった。いまより仲良く暮らしていたと思う。だから、昭和20年代は巨大な変化というより、正常化といったほうが適切のような気がする。「神」は消えたが、人間は変わらず生きていた。庶民の日常感覚が明治から転換したとは思えない。制度的な変化は巨大だったが、歴史的な断絶が起きたわけではない。説明が難しいが、明治のコートを脱いだのが昭和で、社会は地続きだった、といった感じがする。

 もともと、明治時代というのは異質な要素が共存している時代だった。一面では身分制・世襲制から解放されて自由を得、しかも欧米という新しい世界を知った。人々のエネルギーが噴出した。だが、もう一面では先進国になろうと、強迫観念に取りつかれた。また、人間の内面に踏み込んで、天皇崇拝を押し付けられた。不自由で野蛮な時代だった。歴史学は委縮した。明治の自由な一面が表に出てきたのが昭和戦後だったのではないか。

 変わらなかったのは、「欧米に追い付くこと」をアプリオリに正しいと感じていたことだろう。特に戦争では経済力の格差を見せつけられ、戦後に映画で見るアメリカの生活はかけ離れた豊かさを感じさせた。学問でも同様な感じがあった。学生たちもマックス・ウェーバーなど西欧の碩学の書物を競って読んだ(理解したかどうかは定かではない)。

 昭和は戦後も、明治のエネルギッシュな一面が好きだった。明治維新を快挙として疑わなかった。幕末の志士、明治の文化人などを尊敬していた。これは時代の同質性を感じていたためではないか。圧倒的な欧米に対し、学ぶことに熱中したのも似ている。欧米は地理的にも遠く、憧れの対象だった。環境が似ているため、昭和人は明治人に感情移入が容易だったということなのだろう。

 ただ、昭和も60年を超える推移の中で、自らを変化させた。たとえば「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などという本がよく読まれたころから、変化は始まったと思う。舶来品が輝きを失い、普通のものになった。海外旅行がゼイタクでなくなった。そのあと、バブルが来た。その頂点の時期に昭和から平成への切り替えが起きた。バブルが破裂し、その後始末が「失われた10年」と言われ、それが「失われた20年」に変わった。大蔵省が金融の立て直しに悪戦苦闘した。従来の手法では対処できない事態になっていたのだ。

 自民党の超長期政権が内部から崩れ、弱体政権が続いた。昭和の首相は屹立したイメージがあったが、平成になると「その他大勢」の一人に近くなった。その背景は、明治以来の官主導の運営が十分な効果を発揮できなくなった、ということだろう。将来の不透明感が増すのと反比例して、戦後の理想だった、平和主義が輝きを減らしていった。代わって、世は個人的にも社会的にも、経済がメインテーマになっていった。

 これからも政官界から官主導を復活したい、あるいは戦前を復活させたいという向きが現れるだろう。それが一時的には成功するかもしれない。しかし、世界の変化は政官界の判断能力を超えたスピードで動くことが多くなってきた。公共事業で経済を支える手法も遠からず限界に達する。円為替が想定外の動きを始めるかもしれない。いずれは国家予算規模の縮小という、きわめて不人気な事態に追い込まれるかもしれない。

 いまの感覚からいうと、暗い時代への転換のようだが、同時にこれまでの規制が無意味化していき、自由が拡大する面も出てくるはずだ。明治以来続いてきた、人間を狭い一定の基準で、タテに並べて、それによって扱いを変えるような社会から、基準自体が多様化した社会へ移行する可能性がでてくる。それでもまだ。明治以来の「(価値の)押し付け方式」を続けるか、いま岐路に立っているといえないか。

 平成に入る少し前ころから、中国が開放政策に転換した。そこから経済が急拡大し、そのトレンドはまだ続いている。もはや「後進国」ではなくなった。ライバルである。こことどう付き合っていくか。いまでも「中国が崩壊する」といった、いささか悪意のある観測、あるいはそれと逆の中国脅威論が現れるが、外交が曲がり角にきているのは事実だろう。ここでは冷静になり、これまでのすぐに競争する姿勢を転換し、日本の10倍の人口のいる中国を単純化せず、ともかく冷静になることだ。焦って取り返しのつかない行動を避けるのが、もっとも賢明な選択だろう。

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